2月23日、第10回目の玄海町ポスティングでした!

 2013年2月23日、第10回目の玄海町ポスティング・戸別訪問を行いました。今回で玄海町をすべてまわることができました。
 来月以降、また新たに、ぐるりとまわってきます。参加した2人のメンバーからのレポートです↓



●Oさん

 玄海町は、対馬暖流の影響で温暖です。ただ、風が強い日は冷たいのですが、役場の梅の花は、7分咲きという所です。
 玄関先に、切干大根用に干している家が何軒かありました。薄く切って干し、それを蒸してから、また干して乾燥させます。そうすると甘みが出ておいしい切干大根になります。
 そんな話をしながら、おばあさんと1号機は怖いですねというと、もうだいぶ古かとやろ、動かしたら危ない、という意見でした。もう一人もそうでした。
 ある集落では、新築中の家があり、地元の大工さんが木造で作っていました。石州瓦(島根・石見地方産)の家を多く見かけます。また、漆喰の白壁も見ます。伝統技術が残っている証左でしょう。
 下水道が完備している集落でした。3集落とも小屋が大きくて大型農機を備えている家も多くあります。
棚田米の看板がありました。良い風景の所です。
 原発さえなければと思う風景です。
 そして今回で、玄海町を全部回ったことになります。皆さまの協力に感謝する次第です。
 また新たに原発周辺の北の方から回りたいと思います。その時は、分かりやすいビラを作っていければ、と思います。一番の感想は、3.11以後原発は危ない、要らないという考えを持つ人がたくさんいるということです。切実感があります。


●Sさん

 今日の参加者は三名でした。
 今日も冬の冷たい風が吹いていましたが、とても天気が良くて、相変わらずとても素晴らしい自然の中、坂道を登ったり下ったりしながら歩いて回りました。
 訪問先は三つの集落、合計約60軒回りました。その中で数人の人に話しを聞くことができました。
先ず、かなり高齢の男性の方でした。東京に息子がいるが、経済連の仕事で福島から野菜や果物を送ってもらって、それを東京の方で販売している。しかし風評でなかなか売れない。ものは大丈夫なんだけど。 やはり原発はいかん。ここの者は皆そう思っている、と。
 近くの畑仕事をしていた60歳台ぐらいの女の人に機関紙『そいぎ』を渡しながら話しかけました。1号機のことをとても心配していました。10キロも離れていないのでとても心配のようでした。有難うございますと言ってくれました。
 車でずっと先に進み別の集落を訪ねました。
 ある家の軒下で、高齢の男の人が椅子に腰掛けて銀杏の実の殻むき仕事をしていました。その方は、全く原発反対でした。畜産農家で、色々とそのための設備、トラクターなどに7000万円以上かけた。北朝鮮から一発攻撃を受けたら大変なことになる。議員達はそれがどうしてわからないのか、と心から嘆いていました。今の時点で、事故が起きた時の損害賠償を約束してくれるなら良いが。起きなかったら賠償する必要はないのだから、と。
 現在は、息子さんが後を継いでその仕事をやっているとのことでした。
 別れ際に、「頑張ってください」と嬉しい応援の言葉をいただきました。
 以上のように、今日歩いて回って強く感じたことは、玄海町の住民の方々の頭の中に、原発に対する恐怖感が広がり、水面下で反対している人がかなり増えているように感じられました。しかしながら、町の行政者たちは一向にそういう人たちの思いを少しでも汲み取る気配がないようです。
 今後も玄海町の人々とは信頼関係を築いて行かなければならないと思います。



1月26日、今年最初の玄海町ポスティングを行います!

1月26日(土)、「玄海町ポスティング・戸別訪問」の8回目を行います。
今年最初となります。

玄海原発の地元を歩いて、機関紙『そいぎ』を配布しながら、住民の方に出会えればお話を伺ってきます。
現地に行って、初めてわかること、感じることがいっぱいです。

玄海町役場13時スタートです。いつも11時半頃に玄海町の食堂で昼食集合しています。一緒に行けそうな方、お声かけください!

画像

自治体まわりをしています!

 原子力規制庁が出した玄海原発からの放射能放出・被ばく線量、拡散図に大変な誤りがあることを美浜の会さんが指摘し、忙しい毎日にもかかわらず、その資料作成に美浜の会の皆さんが取り組んでくださいました。
詳しい資料などはこちら

 その資料を持って、各自治体に説明に行っています。

 この資料によりますと、もう逃げる場所がないことは明らかです。
 この事が避難計画の重要なポイントとなることを各自治体へお伝えしてまわっています。

 12月17日は佐賀市へ、豊島さんと於保さんと石丸の3人で御厨佐賀市副市長に面談。
 18日は、於保さんと石丸で、玄海町、伊万里市、小城市の3ヶ所を訪問してきました。

 ある市では「もう逃げるところはないですね~」とびっくりされていました。勉強会のお願いもしました。

 また、ある市では、「新たな避難基準ができて、危機感はとてもある。市独自でも考えて行きたい。いろんな情報は知っていく必要がある。」
 拡散予想図の件は、「当然の問題をなぜ間違っているんだろうか?」と、とてもショックを受けておられました。

 ある市とは、再度面談の約束をしてきました。

 隠された内容を正当に評価すると、被ばく線量は著しく高くなり、防災計画によって被害を防ぐという考え方が無意味であることが明らかです。今後も佐賀県内の自治体まわりを続けていきます。(I)

11月30日は公判でした!

画像


11月30日(金)、佐賀地裁にて「第8回MOX燃料差止公判」「第7回2・3号機仮処分審尋」「第3回玄海全機運転差止公判」が行われました。(告知はコチラ

開廷前には地裁の敷地の外で『ストップ!プルサーマル』など会の当初からの横断幕などをたくさん掲げながらアピール行動。
そして、今回久しぶりに『MOX裁判完全勝利へ!』の青い横断幕を先頭にして、一同入廷しました。

MOX公判が始まると、裁判官の声がマイクを通して、大きくはっきり聞こえるので、まずびっくりしました。これまでマイクはあったものの、音が小さすぎてとても聞き取りにくかったので、要望を出していたのですが、やっとかないました。

裁判長「一番の争点は、ギャップ再開の具体的危険性ということだが、裁判所として論点を整理したいので、それについて意見を出してほしい。その際に専門家に非公開の形できてもらう」
前回公判で裁判長から打診のあった「専門家を招いての会合」が本決まりとなりました。

冠木弁護士は記者会見で「2003年の名古屋高裁でのもんじゅ控訴審(国敗訴)では、半日かけて専門家の説明を聞いた。今の段階で立ち止まってもう一度よく検討してみようということ。裁判官の意欲が感じられる。ネックは企業秘密だが、これについても裁判官が判決を書こうと思えば、"白抜き"も出しなさいとなって、話が進むだろうと思う。また、どこまですれば住民にとって安全なのかということを、裁判所として自信をもって打ち出してほしい」と話されました。

全機停止公判では、今回は訴状について立ち入ったやりとりはあまりなかったのですが、意見陳述では、福島原発事故後に東京から福岡に家族で避難された清水亜矢さんが陳述を行いました。

冒頭、「裁判官に話を聞いていただけるとのことで、喜んで参りました」と言われ、声をつまらせました。この1年8ヶ月の思いがよぎったのでしょう。でも、その後、お気持ちをつぶさにしっかりと語っていただきました。

2011年3月、東京で臨月を迎えていました。そこへ、3.11。突然襲う地震と原発事故。
ちょうどその日、プルサーマル裁判の第2回公判で傍聴に来られていたお母様から「福島原発事故が危ないらしいけん、東京を離れた方がいいかもしれん」と連絡。その日から、すべては変わってしまったのです…。
その日のうちに、福岡に避難。10日後、お連れ合いも、苦悩の末に決断、移住。4月6日に、福岡で元気な男の子を無事出産。
東日本から避難されたママ達パパ達に共通する思いを、法廷内で語っていただいたことの意味は大きいと思います。
この日、法廷には1歳7ヶ月の男の子も一緒に来て、最後までおりこうさんにしていました。

※全機停止公判の準備書面はこちら(2012年11月16日提出分)

裁判の会のロゴマークのように使っている家族のイラスト、これは1年前に肥田舜太郎講演会のチラシで初登場したのですが、実は、避難直後から九電交渉など行動の場に駆けつけていた亜矢さん達家族がモデルだったんです。

意見陳述の最後の言葉を紹介します。若い裁判官もまっすぐ聞き入ってくれたように見えました--
「裁判官のみなさん、お子さんがいらっしゃいますか?子どもさんが、幸せそうに笑いかけてくれる時の気持ちを思い出してみてください。そして希望を持って、一番ご自身で納得の行く、子どもさんに誇れるご判断をお願いします」
(意見陳述全文はコチラ

記者会見での石丸初美団長の発言を最後に紹介します。
「亜矢さんの陳述を聞いていて涙が出てきた。原発について、すべて語ってくれた。
私達が裁判を起こしたのも、経済とかエネルギーとかいう前に、命の問題だからです。田んぼも海も山もだめになるのに、どうしてわからないのか。
弁護士さん、小山さん達はもちろんのこと、目の見えないところでもたくさんの人達に支えられてきた。
明後日12月2日はプルサーマルが始まった日。私達はあきらめません。
判決も出るだろうが、それで終わりでない。
いつか原発のない世の中が来る時まで続けなければならない。
辛い闘いだが、原発なくして、子どもの笑顔が戻るまで一緒に闘っていきましょう」

次回公判は3月1日(金)14時からとなりました。

画像

画像

「玄海原発みんなで止める!12・2大集会」報告

画像


古川・佐賀県知事の「県民の理解は得られた」発言を受けて、2009年12月2日、玄海3号機で始められてしまったプルサーマル。
私達は納得も理解もしていません。
玄海が始まり、伊方3号機、そして福島3号機もプルサーマルでした。
プルサーマルが始まったことで、私達は運動の延長線上に今3つの裁判中です。
私達は、この12月2日を忘れないために毎年12・2行動をしてきました。
3回目の今年は、参加者の中から20名の方々にリレートークで、それぞれの思いを自由に語って頂きました。

遠くからはカナダ在住の方や、またイラストレーターの橋本勝さんも急遽、神奈川からかけつけてくれ、「脱原発憲法」紙芝居を熱演していただきました。
http://serinobu.jimdo.com/橋本勝さんの-脱原発憲法/
橋本さんは「事故は絶対!起きるまでは起きないんですよ!」と力強くおっしゃいました。

2010年10月に福島第一3号機で始められたプルサーマルに反対の声を挙げたお一人、宇野さえこさん。
さえこさん「その4ヶ月後の、3.11...。なんて愚かなことでしょう。本当に伝えたいことが、伝えたい人のところに届かなかった。悔しくてなりません...。しかし、どんなことがあっても、これは間違っているんだと、声をあげている私達がいるからこそ、こうやって運動が広がってきたのです。支えあって行動していきましょう」

集会後、九電~県知事公舎~佐賀県庁とデモ行進をしました。
佐賀は歩いている人も少ないのですが、参加者のみんなのエネルギーがさわやかで力強いデモ行進でした。

私達は
「恐怖と背中合わせの原発はいりません」
「放射能はいりません」
「核のゴミをこれ以上増やしてはなりません」 とこれからも訴え続けます。
私達は福島の人に教えてもらったことをこれから先も忘れないで、皆さんと共に行動して行こうと思っています。
みなさん、これからもよろしくお願いいたします。


佐賀新聞記事 http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2337798.article.html
朝日新聞記事 http://www.asahi.com/area/saga/articles/MTW1212034200001.html
西日本新聞記事 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/337043




【集会宣言】 

玄海原発みんなで止める!12・2大集会 集会宣言

 2009年12月2日は、玄海原発3号機で日本初のプルサーマルが始まった日です。私達は、納得も理解もしていません。この日を忘れないために、今日、ここに集まりました。
 2006年、科学者間でも意見が対立する中、古川康佐賀県知事は「県民の理解は得られた」として、住民の反対の声を踏みにじり「事前了解」を強行しました。同年、県民投票署名運動で49609筆を県議会に提出。翌年2月の臨時県議会で「間接民主主義からの逸脱」、住民には判断できないという理由で、あっけなく否決されました。
私達は、人類と共存できない放射能を生み出し、その処理方法も何も決まっていない原発は止めるべきだと今日まで運動を続けてきました。2010年2月、その延長線上に裁判を決意しました。

2011年3月11日、福島原発事故。福島3号機はプルサーマルでした。
原発が爆発した直後、甲状腺を守るための「安定ヨウ素剤」は住民に与えられませんでした。福島県民の多くがSPEEDIの情報を知らされないままに、放射能が高い地域に避難してしまったり、知らぬ間に被曝してしまったりしたのです。政府の情報非公開は殺人的な行為で、無責任極まりないものです。
 そして、政府は事故直後から「直ちに人体や健康に影響はない」「放射線の影響はニコニコしている人にはありません」と言って、「原発安全神話」から「放射能安全神話」に力を注ぎ、人々の命を守らず、電力会社の利益のために邁進してきたのです。

6月、原発事故後まだ3ヶ月しか経たない非常事態の最中、玄海原発に再稼働の話が浮上しました。私達は佐賀県庁や九州電力に連日のように行動を起こしてきました。そして、菅首相が全原発のストレステスト実施を指示、再開に最も近いとされていた玄海の再稼働に待ったがかかりました。市民の怒りは、古川知事のやらせ問題をも誘発しました。
今年6月、野田首相は「子ども達の未来のためにも、福島のような事故は決しておこさない。豊かで人間らしい暮らしを送るために」と大飯原発再稼働決定。そして「2030年代に原発稼働ゼロをめざす」と言ったかと思えば、大間原発工事再開と、支離滅裂です。昨年末には「事故収束宣言」しておきながら、原子力規制委員会人事を、今も「原子力非常事態宣言発令中」であることを悪用し、首相の権限で国会の同意も経ず多くの国民の反対にも耳を傾けずに決めてしまいました。本当に許せないことばかりです。

福島県民の多くは今もなお、放射線管理区域以上の環境の中に閉じ込められ、過酷な暮らしを強いられています。このような国の酷い対応に、国民はいろんな方法で知恵を出し合って、福島の人達に救いの手を差し伸べています。私達は国に対し、年間1ミリシーベルトを守るようにこれからも言い続け、子ども達を放射能汚染の中から、一刻も早く救い出してあげなければなりません。

「空気に脅えて生活しています」「牛乳を飲む?飲まない?洗濯や布団を干す?干さない?戸を開ける?開けない?泳ぐ?泳がない?」と、福島は苦悩の日々です。
「花や草木、自然の生き物と一緒に暮らしてきたのに、今まで当たり前だった環境が楽しめなくなった」
「佐賀は蛇口の水がそのまま飲めるからいいですね。福島では思いっきり深呼吸できない」
私達は自然に守られているんだということの意味を、福島の人に教えてもらいました。

2010年8月9日提訴「3号機MOX使用差止裁判」、2011年7月7日提訴「2・3号機再稼働差止仮処分」、2011年12月27日提訴「全機運転差止裁判」、この3つの裁判を闘いながら、法廷内外で、全国の仲間達とつながりながら、私達は覚悟をもって誓います――
フクシマの犠牲を忘れず、この国の不条理の現実を踏まえ、子ども達を守るために大自然をどう未来へ渡せるのかを、大人が諦めずに一歩ずつ行動していきましょう。
みんなの力で原発をなくして、かけがえのない自然を、子ども達を放射能汚染から守りましょう。
70年前に世界初の原子炉が誕生し、3年前に日本初のプルサーマルが始まった、12月2日、この日に。

2012年12月2日
第3回玄海原発みんなで止める!12・2大集会 参加者一同


集会宣言PDF版はこちらから

11月30日は公判です!佐賀地裁へ!

MOX公判は8回目、昨年12月27日提訴の全機公判からはまもなく1年となります。
命を守るため、子どもを守るために、再稼働を阻止して、
玄海原発、全国すべての原発を即刻廃炉とさせましょう。傍聴にぜひともご参集ください。

11月30日(金)

13時半~佐賀地方裁判所集合・アピール
     佐賀市中の小路3-22 TEL:0952-23-3161

14時半~第8回MOX燃料差止公判

15時半~第7回2・3号機仮処分審尋

16時~ 第3回玄海全機運転差止公判
     意見陳述あります

16時半頃 記者会見・報告集会
   公判終了後、すぐに赤松公民館に移動
   佐賀市中の館町4-10(車3分)


佐賀地方裁判所の地図です↓



記者会見会場の赤松公民館の地図です↓

11月5日古川康・佐賀県知事に玄海原発再稼働に関する質問書(再び)

11月5日、古川康・佐賀県知事に対して、玄海原発再稼働に関する質問書を提出しました。

9月11日に知事に対して要請・質問書を提出していましたが、(関連記事)10月5日にまったく中身のない不誠実な回答が知事から届きました(コチラよりダウンロードできます)。

これに対して、知事の態度を批判した上で、規制委員会の再稼働の判断時期、避難訓練の実効性、事故が発生した時の知事の責任などについて、再度質問しました(コチラよりダウンロードできます)。


このところずっと、部屋を用意もされず、1階ロビーで立ちっぱなしでのやりとりです。今日は質問書提出だけということで、こちらもしぶしぶ応じましたが、昼休み終わりの音楽やらアナウンスやらで、声も聞き取れないぐらいうるささでした。
県民の命にかかわることだからこそ、こちらは真剣に取り組んでいるのに、この佐賀県の態度に、いつも怒り心頭です。悪いのはトップの古川康知事です。
回答の際には、座って話せる会議室を用意するよう再度要請し、新聞にもそのことを掲載していただきました。

佐賀新聞の報道



画像




画像




記者室での会見の様子です。
画像