玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会

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zoom RSS 「忘れないで3・11佐賀行動」皆様、ありがとうございました。

<<   作成日時 : 2012/03/14 17:28   >>

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(2012.322更新、要請文とアピールを掲載しました)
「忘れないで3・11〜脱原発佐賀行動」
私達は福島を忘れない。


3月11日、あれから1年。
裁判の会の呼びかけでつくられた実行委員会の下、「忘れないで3・11〜脱原発佐賀行動」を取り組みました。
この日のメインは、昨年6月に福島市から佐賀県鳥栖市に避難された木村雄一さんのお話にじっくり耳を傾けることでした。
木村さんは自身で撮られた画像、映像を紹介しながら、津波で行方不明となったご両親のいた宮城県石巻市の様子、放射能からの避難を決断した経緯などの辛い話を話していただきました。(要旨後述)
木村さんは佐賀に来られた直後から脱原発で行動する仲間ですが、この日に「0311避難者九州ネットワーク」http://www.kyushu-hinan.net/index.html を新たに立ち上げました。

舞台では、プログラムが続きました。
鎮魂と脱原発の音楽演奏。
放射能ホットスポットとなった千葉県柏市から母子避難してきた高校生のメッセージ。
短歌「フクシマエレジー」の朗読。
全国からの連帯メッセージ。
石丸初美・裁判の会代表からの訴え。
そして古川知事への要請文と「3・11脱原発佐賀アピール」の採択。(下部参照。ファイルはこちらから
1つ1つに思いがこもってました。
14時46分にあわせて参加者一同で黙祷し、祈りと誓いをささげました。
また会場にはイラスト、写真、グッズがいっぱい展示され、会場の雰囲気に気持ちを添えていました。
デモは、木村さんのお話をかみしめながら、途中の九州電力、知事公舎、佐賀県庁の前では、「九州の鬼」となって怒りをぶつけながら、犠牲者への祈りと脱原発の誓いをこめて歩いてきました。

私達は福島を忘れない。
行動を起こすのは今。
みんなのチカラで原発を止めよう。

●木村さんのお話
 去年1月、待望の娘が生まれました。佐賀に来た頃は抱きかかえるだけの小さな子どもでしたが、最近は独り立ちして、先日は15歩も歩きました。何を言っているのか分かりませんが、言葉もしゃべるようになりました。
 3・11、あれから1年。
 宮城県石巻市の実家は津波によってすべて流され、両親とも行方不明のままです。
 これが49日経って被災後初めて訪れた実家の近所の写真です。ガレキだらけです。360度どこを見てもこういった景色です。まるで景色の変わった近所の様子が信じられませんでした。
 黄色いロープが張ってあります。あれは、中にもう遺体はありません、人らしきものはありませんという目印です。
 建物の基礎をたどりながら、目をつぶりながら、自分がそこで生活していた時のことを思い出しながら、右に左に東西南北に、歩数を進めて、だいたいこのへんかなというところに土塁があったりとかすれば、そこは自分の家なんだなというふうにしか感じとることしかできませんでした。
 大きい建物も小さい建物も一切関係なくすべて飲み込んでいった。たちこめるこげくさいにおいと、朝の爽やかな時間帯にも関わらず、異臭が漂っていたのが今でも脳裏から離れません。

 福島市では、大地震で物流がストップ、ライフラインが遮断。携帯も不通。連絡手段が一切ない中、ツイッターからの情報だけが頼りでした。津波もそれで知りました。
 60キロ離れている原発には当初、無頓着でした。行政から危険だという話が一切なかったので、水素爆発した時には多くの人と同じようにガソリンや食料を求めて、外で並んでいました。
 4月、放射線量が天気予報のように発表されるようになりました。毎時20数マイクロシーベルト。初めて聞いた時はピンときませんでした。何が本当に危険なのか。ネットで検索すると、毎時0.6マイクロを超える場所は原発施設などの管理区域となり、規制されているということを知り、びっくりしました。チェルノブイリの生々しい記事もたくさん出てきました。
 私達夫婦は人生の決断を強いられました。1ヶ月悩みに悩んで、これからの自分の人生というものは家族とそして娘のために生きなくてはいけないということを決断、経営していたライブハウスをやめて、1500キロの道のりを一晩で佐賀までやってきました。途中に立ち寄ったパーキングエリアで初めて外の空気を思い切り吸う娘を見て、俺は間違ってないと思いました。
 「自主避難」といわれますが、避難せざるを得なかった私達の思いを理解してほしい。私達は被害者なんです。距離で被災者を分断する国に腹が立ちます。

 佐賀に来た直後に、古川・佐賀県知事の「やらせ」の舞台となった再稼働説明番組がありました。その抗議集会へ初めて駆けつけました。福島事故が起こる前から闘っている方々がいました。原発被害のことを本当に親身になって考えてくれていました。
 海江田経産大臣が佐賀県庁に来た時、県庁に集まった市民の皆さんが県庁から締め出されているのを見て、どうして古川知事がそこまでかたくなに拒むのか、本当に疑問に思いました。
 今なお福島のメルトダウンの真相解明にはいたらず、何万人もの人が放射線汚染区域にとどまり、避難できずにいます。
 目にみえるものより、目に見えない多くのものを失っていったということをこの1年感じています。友達や仲間とのたわいもない趣味の話や仕事の悩みの話だとか、そういうたわいもない時間が最も大事だったと一番感じています。
 失われた多くの命、破壊された家々。先行きの見えない不安を心の中で整理しようと必死に模索した一年でした。
 一日も早く原発を完全停止、撤廃することを望みます。福島の犠牲を、未来の世代への新しい道を切りひらくチャンスとしましょう。



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↑講演する木村さん



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↑千葉より佐賀へ母子避難している高校生Kさんは震災時、帰宅出来ず学校に宿泊。その日の教室の黒板



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↑講演会後のデモ

こちらもご覧ください。告知チラシや当日の写真などをアップしています。
玄海原発プルサーマル裁判の会ホームページ


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3・11脱原発佐賀アピール

いま、梅の花が満開です。
毎年春になるとワクワクしていましたが、今年は心が弾む感覚が芽生えてきません。
あれから1年、一体何がどう変わったのでしょうか?

福島第一原発の事故のせいで、放射能に汚染された土地に住むことを強いられる人々。
放射能に怯えながら生きていかなければいけない子ども達。
事故現場で被曝し続ける労働者。
大切な仲間や愛する家族と分断され、人生を引き裂かれた人々。
どうしてこんなことになってしまったのだ!
どうしてふるさとを離れなければならなくなったんだ!
怒りと涙で毎朝、布団の中で子どもと一緒に泣いていた、九州に避難してきたお母さん。
家族のもとに行きたいのに、強い放射線にまみれながら仕事をしている福島のお父さん。
生まれたばかりの可愛い孫たちをそばに置いておくのは恐ろしいからと、九州に出してくれた優しいおじいちゃん、おばあちゃん。
福島の方々の犠牲に報いる事は、脱原発を果たすこと。これ以上でも、これ以下でもありません。

昨年12月25日、玄海原発4号機が定期検査に入り、停止しました。
九州電力がもつ原子炉6基すべてが止まったのです。
九州の中で原発が止まった途端に、停電したところがあるのでしょうか。
現在、全国では54基の原発のうち52基が停止しています。
残り2基を止めて、原発がないと電力が足りなくなるってウソだったという事を証明しましょう。
それが明らかになると困るので、こっそり再稼働の準備をしている事にも目を光らせましょう。

原発がある町や県だけが被害にあうわけではないことを、福島の事故は教えてくれました。
福島の皆さんに犠牲を強いるまで、気づけなかった事に責任を感じています。
でも、私達はもう、見てみぬふりはしません。
どの地域からもどんな立場からでも、やっぱり「原発はいらない!」を堂々と叫ぶときです。
いのちを尊び、生きていきたい。
未来の子ども達、まだ見ぬ世代に素敵な故郷を手渡したい。
2011年3月11日以降、どう希望を繋いでいったのか、どう生き抜いてきたのか、
胸を張って意気揚々とバトンタッチしたい。

私達は福島を忘れない。
行動を起こすのは今。
みんなの力で原発を止めよう 。

2012年3月11日
忘れないで3・11 脱原発佐賀行動 参加者一同

※ファイルはこちらから


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要  請  文
佐賀県知事 古川 康 殿                       2012年3月11日

住民の命と暮らしを優先し、脱原発で安心できる県政を速やかに実施せよ!

 東京電力福島第一原子力発電所が引き起こした原発事故は、丸1年が経過してもなお、水の循環などで冷却させ続けている以外にこれといった方策が取られていないのが現状である。もちろん、収束の目処さえ立たず、破壊され残った原子炉建屋の倒壊の危険や年末年始の放射能数値の異常上昇など、国民を不安にさせる要素は後を絶たない。このような状況下で、事故収束に向けた工程表通り順調に作業がなされ新しいステップに進んだのかのような政府発表には、現場からも唖然とする声が漏れ伝えられた。近づくことも中を容易に覗くこともできない原発事故の脅威の中で、また3月11日を迎えるに当たって、政府は本丸を差し置いて、「復興」の二文字をアピールし、マスコミにも大合唱させている。事故の原因調査も対策もほとんど何も出来てない状況で真の復興などできるはずもない。これこそ、政府・原子力村の欺瞞というほかにない。

 あなたは、事故以来、住民の命の安全と安心できる暮らしと財産を守る自治体の長として、最善を尽くすと表明してきた。原子力政策において、国策であろうとも政府のやることを慎重に見守り、厳しい目を持ってチェックしていくと常々議会でも答弁してきた。しかし、やっていることは全く正反対、「私は推進派にも反対派にも会わないことが公平」と言いながら、秘密裏に九電幹部には会い、対話を求める県民にはバリケードを敷き、ムダな費用まで使って警備員を雇い、納税者をチェックして県庁舎から締め出すという行為までやってきた。
また、肝心なところでは「国がいいと言うから、県もいい主義」、原発を稼働するも止めるも「政府が政治で決める」を後ろ盾にして、厳しい目どころか、事業者九電と癒着を深めた結果の「やらせメール事件」、自ら策を弄したことが第三者委員会の調査で明らかになった。郷原委員長のアドバイス通り、この恥ずべき行為で、潔く辞任すべきであったが、あなたは知事の椅子にしがみついたのだ。
「福島の事故を機会として、原子力に頼らなくてもいいような社会を目指していく」とあなたは県議会で一度は回答したことを私達は覚えている。もし、その言葉が住民を欺く言葉でないならば、「ほら吹き知事」を通り越し「詐欺知事」だという住民の強い疑念を自らの行為でもって晴らさなければならない。
よって、以下の3項目を要請する。

1.ストレステストという机上(電算機)の試験は、欠陥チェックであり、これに合格できない原発があってはならない最低基準である。故に、真の福島原発震災事故解明および万全の対策無くして、過去の基準で存在する原発の再稼働を論じることさえ許されない。よって、玄海原発の全ての再稼働を断じて容認しないこと。

2.県政の義務として、原発放射能から県民の命、特に未来を支える子ども達の命を守ること。(放射性瓦礫、廃材の受け入れを容認しないことなどを含む)

3.安全優先の脱原発社会を構築、玄海原発を廃炉に向けて全国に先駆け推進していくこと。

忘れないで 3・11 脱原発佐賀行動 参加者一同
事務局:玄海原発プルサーマル裁判の会 (TEL:0952−37−9212)

※ファイルはこちらから

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